他人の論にひれ伏するか自分の頭で思考するか
【この記事のハイライト】
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インプットはアウトプットの一部である
人間は日々、おびただしい量のインプットとアウトプットを繰り返しています
一般的には、それぞれ独立した活動のようにも考えられがちですが、インプットはアウトプットの一部だと仮説を立ててみましょう
そう考えると、アウトプットするための準備として、インプットという活動があると考えることができます
そもそも人間には、自分の意見を吐き出していきたいという本能があります
そして、その本能を満たすために、前提としてインプットという活動が必然的に必要になるという訳です
インプットとアウトプットは均衡を求める
人間は吐き出す量が過剰になってくるとインプットを渇望します
一方で、それが逆になると、激しく吐き出したい欲求にかられる状態が生まれます
ぼく自身も、毎日毎日、音声や文章でアウトプットをし続けていると、「情報を入れたい」、「人の話を聴きたい」というインプットに対しての渇望が激しく高まることを体感しています
発信活動を続ければ続けるほど、ラジオやブログ、本や映画などあらゆるコンテンツから情報を入れていく機会も自然と増えてきました
「思考」をしなければインプットは無駄に終わる
ここで大切になるのは、どのような姿勢でインプットするのかということです
単調にインプットするだけで知識が増え続けていくわけではありません
大切なのは情報を入れることそのものではなくて、入れた情報を材料としてその先に自分のこれまでの体験とか記憶とか、様々な材料と掛け合わせることによって、自分なりの思考を生んでいくことです
その思考の過程がなければ、ほとんどの情報がフローの状態で何も残らなくなってしまいます
あるいは、他人の考えに染められる状態に陥ってしまいます
一見すごい実績があったり、たくさんのフォロワーを抱えている人の意見には無意識に従ってしまいそうになります
その人の意見そのものにひれ伏するのではなくて、その意見を使って自分の考えを構築していくというスタンスこそが、正しいインプットとアウトプットの循環になるのではないでしょうか
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