自分にとっての常識は他人から作られているという恐怖
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自分にとっての常識は他人から作られている
自分にとって常識が他人によってつくられているという事実は、人生における恐怖そのものです
この事実に気付いた瞬間から、人はその呪縛からの脱却に勤しむ日々を送ることになります
しかし本当の恐怖は、それを成し遂げられる人はほとんどいないというところに眠っています
果たして、この恐怖とどのように付き合っていけばいいのでしょうか
他人からの影響を受けない人間はひとりもいない
よくよく考えてみれば、他人からの影響を受けない人間はいません
あなたが幼かったあの日、学校の先生から投げかけれらた言葉や友人知人から何気なくかけられた言葉、部活や会社の先輩や後輩からのメッセージ、図書館の本や書店に並ぶ雑誌に書かれてあった印象的な文章、テレビから流れるあらゆるジャンルのニュースなどなど・・・
周囲のあらゆる情報を自分に取り入れてはそれは吐き出す行為を繰り返していく過程の中で、人は自分自身の中での基準を培っていきます
つまり、他人から得られる情報は、自分をつくる上で避けられないもの、あるいは必要不可欠なものと言えるでしょう
他人からつくられた基準はマネタイズしやすい
他人によってつくられた基準にはマネタイズしやすいという特徴があります
国家資格などはその最たるもので、基準は公の機関が準備し身に着けるべき知識も体系化されています
その基準にそった評価測定行為を行うだけで、マネタイズは容易にできます
一方で、苦労して数年かけてとった国家資格や難関試験の知識すら、自由な思考や発想の前では、不毛で無駄なものに感じる瞬間があるのもまた事実です
ここに恐怖の根源があります
極端な話、士業は苦しみ続ける運命にある職業であるということです
しかし、これは何も絶望的な話をしているのでありません
この課題を解決するために知るべきものとして、中道という考え方があります
分かりやすく言うのであれば、両立といってもいいでしょう
マネタイズという黄金の果実を目の前にしてなお、自ら思考することを決してあきらめずに両立してこそ初めて、恐怖に屈せず、自分の人生を自分の足で歩んでいけるのではないでしょうか
【この記事のまとめ】
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