しろくまスタヂオ

士業事務所経営者が語るビジネス現場の実況中継

発信者にとってエゴは無罪だ

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音声やブログでの発信を続けていると
否応なく向き合うことになるもの
それが自分のエゴです

 

 
文章で読むのが面倒な方は音声でどうぞ

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自分のエゴと向き合おう

なにも人様のことをつかまえて
エゴイストばっかりだと
責めて言っているのではありません

ぼくも、ご多分に漏れず
それはそれはもうエゴにまみれていて
エゴが順番待ちしているみたいな状態です
エゴは在り方そのものだ

エゴが露出するというのは
止めようがない現実で

自分の話を聴いてくれ
僕の文章を読んでくれ
私の見方になってくれ
僕の存在を認めてくれ

といった感情や願いは
誰の心にも宿るもので
それが最も自然な姿です

だから、エゴが露出をしていること
そのものが批判の対象になるのには
違和感を覚えるのです

エゴはひとの在り方そのものです
それは、言い換えるならば
ひとの願いみたいなもので
決してネガティブな対象では無いはずです

コミュニケーションにおいても
エゴは敬遠されるものでは無くて
人間の自然な営みであると同時に
そもそも否定されるべきものでは
ないですよね

 

エゴとマウンティングは違う

例えば、マウンティングと言われる
行為とエゴは全く別物なんです

マウンティングは
行動面や心理面において
自分の優位性を示して
物事を有利に進めたいという
真理の現れを指すものであり
意思の表現方法の一つに過ぎないわけですね
当然聴いていて
気持ちのいいものではありません

少し話はそれますが
おもしろいのが
マウンティングが発動した瞬間
マウンティングしようとしている人以外の
周囲の人に不思議な一体感がうまれる
静かな一体感ですね
あれは面白いなと思いますね

話を戻しますけど
そういう意味においては
マウンティングは一つのお役立ちグッズ
みたいなもの

そもそものエゴとは
人間の在り方みたいなもので
マウンティングとは
言葉の「格」みたいなものが違います

 

エゴは無罪だ

そういう意味でも
聴かれるチャンネルとそうでない
チャンネルがあるみたいな議論の時に
エゴはそもそもそこにあるものだから
排除することはできません

その上で
コンテンツとかチャンネルを
伸ばしていくときに
エゴと掛け合わせる必要がある要素
あるとするならば
それは共感なんですね

 
リスナーから
どれだけ共感を得られるかで
聴かれるチャンネルかどうか
選ばれるサービスかどうか
求められる商品かどうか
が決まっていくと

エゴは在り方であり
行動の源泉であるのに対し
共感はそのコンテンツの方向性
つまりベクトルを
決定づけるものになると思います

と同時に今日お伝えしたかったのは
エゴそのものを悪者にする必要は無い
あるいはエゴは被害者だということです

最後にもう一度、エゴは無罪です

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